アバウトなエッセイ

静かにしろ!

アバウト佐々木
スマボン出版®
静かにしろ! 表紙

■ はじめに

「静かにしろ!」──
私が私をシー!する時

怒鳴り声などではない。
自己啓発でも、精神論でもない。
もっと地味で、もっと切実で、もっと私らしい “一言” だ。

若い頃は、まあ忙しかった。
仕事、家庭、締切、世間体。
生きるとは、つまり “間に合わせる作業” だと思っていた。

そんな生活を長く続けたせいで、体のほうが先に「無理だよ」と音を上げた。
脳梗塞と心筋梗塞──
そのダブルパンチが立て続けにやってきたとき、私は思った。

「……あれ? これ、おさらばなのかい?」

恐れとか悟りとか、そんな立派な言葉ではない。
ただ、素直に
“このままじゃ、静けさに出会わないまま終わっちゃうぞ”
と思っただけだ。

退院後、出された薬は山ほどで、
処方薬が増え続ける袋を眺めながら、
つい心の中でつぶやいた。

「製薬会社のモルモットかよ……」

もちろん薬が悪いわけじゃない。
ただ、“任せっきり” というのが、どうにも私向きじゃなかったのだ。

じゃあ、どうする?
私は私なりに考えた。
自分の体と心の、マイセルフケア を探さなきゃ、と。

そうしてたどり着いたのが、
この本に並ぶ “静けさの道具たち” である。

これから記すのは、
誰かに向けた教えではなく、
ただの独り言だ。

「静かにしろ!」──
これは私が、私に向けてかけ続けてきた、
やわらかい号令である。

■ 第1章 どうして「私に」静かにしろと言うのか

私は昔から、ノイズが苦手だった。
けれど “音そのもの” が嫌いというより、
音の向こうにある“焦り”や“緊張”が苦手だった。

すぐカッとなる。
不機嫌の香りがすると、頭のヒューズがバチッと切れる。
瞬間湯沸かし器みたいなところがあった。

自分でも面倒くさい性格だとは思う。
でもそれが事実だ。

だからこそ、
静かな人、静かな場所、静かな時間──
それらはいつだって、少し羨ましかった。

そんな私が、あの二つの大きな病気を経験したとき、
まるで内側にサーチライトが当たったように、
自分の“怯え”が浮かび上がった。

大きく取り乱したわけではない。
むしろ妙に冷静で、
「ああ、こうやって人生は終わるのか」と、
俯瞰して見ている自分がいた。

でも生還してからだ。
私は自分に向かって、はっきりとこう言った。

「静かにしろ」

怒りや焦りを抑えつけるためじゃない。
恐れに飲み込まれないためでもない。

“静けさを選ぶ側の私になる”
そのための、最初の合図だった。

■ 第2章 臆病者の開き直り

私は、強くなんかないよ。
正義の味方でも、悟りの達人でもない。
ただ、少し臆病か? という自覚はある。

この「臆病」という言葉は、実はコンプレックスだったのかもしれないな。
病気や老いの怖さを敏感に感じてしまうし、
未来の不安にも弱い。

けれど、その臆病さが
静けさの入り口を開いたのだと思う。

怯えている自分に向けて、
「まあ座れよ」と椅子を出すような感覚。
その静けさが、私をやさしく包み込む。

静けさとは、忍耐じゃない。
修行でもない。
気合いでもない。

怯えた自分を、そっと脇に座らせるテクニックだ。

そこに光明が射したんだ。

強くなるより、静かになるほうが、
私には向いているのかもとね。

私はその術を、少しずつ身につけてきた。

■ 第3章 鎮魂実修器「アイアム」

三十代半ば。
人生のど真ん中、働き盛りの頃だ。

私は西洋神秘学の「ラジオニクス理論」に興味を持った。
検体と操作盤を直列につなぎ、
ノブを微細に回して、
指先の感覚で数値を“感じ取る”という不思議な理論。

面白くて、御徒町のラジオセンターで部品を買い漁り、
夢中で自作してしまった。

だが、やってみて分かった。

いくつものダイヤルをたいそうにいじくり出た数字列が
合っているかなんて分かろうにも分かるはずもない。

大事なのは “感じる感” だ。

ならば、数値を追いかけるより、
“自分と検体が直接つながる回路” を作ればいいじゃないか。

そうして誕生したのが
鎮魂実修器「アイアム」。

左回転のプリント基板で“取り込み”、
右回転の基板で“取り出す”。
真ん中のノブを、心の声に合わせるべくラジオのチューニングみたいに回していくと──

ある一点で、
指先が ググッ と盛り上がるように反応する。

電気は流れていない。
理論を語れと言われても怪しい。
でも “つながる” 感覚だけは、確かにある。

とくに強烈だったのが、
母の思い出がつまる翡翠の指輪を検体にしたときだ。

ノブを回した瞬間、胸の奥がじわっと熱くなり、
思わず祈りがこぼれた。

その日を境に、
“感じる感” は常態化した。

図に描くだけでも感じる。
そして最終的には──
何もなくても、感じる。

アイアムは、
私の人生の方向をそっと指し示す、小さな巨人、魂の羅針盤だ。

■ 第4章 母の形見の翡翠の指輪

母は特に美人ではなかったが、
指は細くて綺麗だった。

家事の最中や、裁縫仕事の時にだって翡翠の指輪は外さない。
お気に入りだったんだね。

その指にいつもはめていた翡翠の指輪。

私はその指輪を
“唯一の遺品” として扱い、
しばらくは仏壇の小引き出しの中で眠らせたままであった。

アイアムでこの指輪が“つながった”とき、
言葉にできない感覚が走った。

光でも音でもない。
ただ、胸の奥がじんわりと温かくなる。

それは
「大丈夫だよ」
というメッセージのようだった。

以来、この翡翠の指輪は
単なる形見ではなく、
母の“静かな存在”そのものになった。

母が託してくれた翡翠の指輪は、
私の静寂習慣のいちばん最初の、お師匠さんなのかもしれない。

■ 第5章 赤い糸の指輪

脳梗塞と心筋梗塞を経験した。
で、私は血流を意識するようになった。

血がうまく巡っているかどうか。
手足の冷え、頭のボーッとした感じ。
そういうものに敏感になった。

そんな折、ふと思いついたから止まりません。
赤い糸を指輪にすれば効果があったりしちゃったりして。

ダイソーで買い求めた赤い糸を、
ハンドメイドで薬指のリングに仕立てただけ。
チープシックと言えばチープシック。
みすぼらしいと言えば、まあそうかもしれない。

でも、これをつけていると
脈のテンポがほんのり整う気がする。

赤は血の色。
“私は今、自分の流れを見ている”
という意識がスッと立ち上がる。

見た目は……まあ、
「健康祈願のおまじないですか?」と言われても否定できない。
だが、私はけっこう気に入っている。

小さなリングだが、
私の静けさを守る大事なマネージャーとなった。

■ 第6章 水晶の六芒星ペンダント

寝る前、胸に当てる。
ただそれだけ。

特別なエネルギーを期待しているわけではない。
だが、水晶というものは、
昔から “静けさを保つ石” とされてきた。

かのニコラ・テスラも
「水晶には宇宙の秘密が宿る」と語ったという。
……まあ、その言葉を真に受けておりますからして、
不思議と心のどこかが、その話にうなずいている。

胸に当てて、深く息を吸って静かに長く吐く。

水晶の正確な波動が、
そのまま心の乱れを調整してくれるような気がする。

静寂の入口に、ちょうどいい儀式だ。

■ 第7章 周波数クリニックという遊び

静寂を扱ううえで、私は“音”という道具も使うようになった。

369Hz は直感、
432Hz は安定、
528Hz は再生。

音には、人間がずっと昔から知っていた“感じる感”がある。

スマホひとつで扱えるように、
私は 周波数クリニック を作った。

遊びでいい。
気軽でいい。

なのに、不思議と心が整ってしまうことがある。
それで十分なのだ。

■ 第8章 60年前のエレキギター

小学6年生のあの日。
母の財布から、こっそり、偉い人がプリントされた紙を無断借用したんだ。
最低だと思う。今でも反省をしてる。

でも──知ったことか、楽器屋さんへまっしぐらときたもんだ。

そこには、Z-70T。
通称 “全音エレキ”がいた。

偽物の風格がプンプン漂う、
世間的には “れっきとした安物” の分類に入るだろう。
だが、少年の私には
それが“宇宙船”みたいに輝いて見えた。

半世紀以上経ったある日、
オークションで同じモデルを見つけた。

60年ぶりに手に入れて抱えたその瞬間、
少年の私が戻ってきた。

「まあ、落ち着けよ。静かにしろ」

そう言ってやれる大人になっていた。

この憎みきれないろくでなしエレキは、私にとって
静けさの原点回帰装置
みたいな存在である。と言ったら過言かなやっぱり。

■ 第9章 静かな標準装備

私の静寂ツールは、どれも身近な存在。

  • 鎮魂実修器アイアム
  • 翡翠の指輪
  • 赤い糸の指輪
  • 水晶の六芒星ペンダント
  • 周波数クリニック
  • 60年前のエレキギター
  • 労宮瞑想
  • 天拝本鎮塔への参拝

が、愛着だけは人一倍!
静けさへ連れていってくれる
私の“標準装備”だ。

どれも“内側を整えるための鍵”だ。

静けさとは空間ではなく、
状態 だ。

求めて駆け込む場所ではなく、
整ったときに自然にそこへ落ち着く。

■ 第10章 「静かにしろ!」の心得

静けさにはコツがある。

派手なテクニックではなく、
日常の中でそっと握っておく「小さな合図」みたいなもの。

たとえば、こんな具合だ。

① すぐに答えを出さない
② 無理に強くなろうとしない
③ 心がザワついたら赤い糸を見る
④ 手を胸に置き、ひとつ息を吐く
⑤ 静まり返る必要はない。静けさは濃淡があれば十分
⑥ “感じる感” を信じる
⑦ 世界が騒がしくても、自分は静かでいられる

完璧を目指すと、たちまち苦しくなる。
「今日は③だけでいいか」
「今は④だけやってみるか」

そのくらいのユルさでちょうどいい。

そして「静かにしろ!」は、
私にとってその合図を思い出す“目印”みたいなものだ。だよね、たぶん。

静寂とは選択だ。
自分で選んで、自分に許すものだ。

■ おわりに

若い頃の私は、うるさく賑やかだった。
何でも勢いで突破しようとして、
気力で押し切るのが美徳だと思っていた。

今は違う。
けっこう静かだ。

その静けさは、
寂しさとは真逆だ。

ちょうどいい音量で、
ちょうどいい距離で、
いちばん仲良く “自分” とつきあっているだけだ。

だから最後にもう一度言わせてほしい。

静かにしろ!

これは、
自分を責める言葉ではなく、
自分を解放するための、小さな呪文。なーんて。